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2013年9月14日土曜日

伊賀越ひとくちコラム(4)~室町時代、その2~

*この秋、4劇場(※)で歌舞伎・文楽が上演される『伊賀越道中双六』。

ブーム到来な予感!?な『伊賀越』が気になるあなたのための、ひとくちコラムです。

※ 9月国立小劇場(文楽)、9月公文協西コース(歌舞伎)、11月国立大劇場(歌舞伎)、11月国立文楽劇場(文楽)



今日のテーマはこちら!

 
●時代設定のルール●  伊賀越レベル★★☆


昨日の続きから。

『仮名手本忠臣蔵』『伊賀越道中双六』

2作品とも江戸時代の事件を扱っているはずなのに、わざわざ室町時代に設定しているのはなぜなのでしょう?



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作品の作られた当時は、同時代に起こった事件をそのまま扱って作品にするのは禁じられていました。

芝居の中で有名人の本名を出すことを禁じるおふれ(正保元年(1644))や、徳川家・天皇家にかんする作りごとを禁止するおふれ(享保7年(1722))など。

心中事件の脚色を禁止するおふれも、何回もでました。
真似をして心中するカップルが後を絶たなかったからです。


つまり当時は、政権批判につながるようなことを少しでも避けるために、真似をされると困るようなことをいろいろと禁止していたということです。


・・・


☆赤穂浪士の敵討ちの場合は、

・浅野内匠守の切腹とお家取り潰しという、お上の決定への反発
・討った相手が高家のトップという、高い役職の吉良上野介

ということで、政治を行うほうとしても、民衆に赤穂浪士の味方をされては困るわけです。

作品を作るほうも、せっかく作ったのに上演禁止にされるのは避けたいので、時代設定や登場人物を、南北朝の騒乱の時代に仮託して、目くらましをしていたというわけです!



☆伊賀上野の敵討ちの場合は、河合又五郎に弟を殺された渡辺数馬が、姉婿・荒木又右衛門らの力を借りて行ったもの。

『忠臣蔵』に比べると内輪な敵討ちなのですが、仇敵となった河合又五郎の受け渡しをめぐって、さっさと捕まえたい岡山藩と、旗本である又五郎をかばいたい仲間の旗本たちとに対立が起こり、ごたごたに発展したという背景があります。

武士階級の事件ということで、やはりそのままでは上演できなかったのです。

そのため、事件を室町時代に設定して、登場人物の名前をちょこっと変えて、作品が作られたというわけです!


・・・


ちょっとこむずかしくなりましたが、そんなこんなで、『忠臣蔵』『伊賀越』も、実際の事件そのままでは上演できなかったのです。


といっても…登場する遊郭とか、衣裳とか髪型とか…明らかに江戸時代な気もするのですが…
そこは見て見ぬふりで楽しみましょう!


『伊賀越』「沼津」(歌舞伎・文楽で上演)の場面や、その続きの「藤川新関の段」(文楽で上演)は、江戸時代の街道や旅の様子がいきいきと描かれていますので、ご注目ください!



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ところで『伊賀越』の場合は、誰の仇を討つのかという設定も、実際の事件とは変えています。

次回は、伊賀上野の敵討ちの発端について、お話していきます。

お楽しみに!



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