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2013年9月15日日曜日

伊賀越ひとくちコラム(5)~西の大関~

この秋、4劇場(※)で歌舞伎・文楽が上演される『伊賀越道中双六』。

ブーム到来な予感!?な『伊賀越』が気になるあなたのための、ひとくちコラムです。

※ 9月国立小劇場(文楽)、9月公文協西コース(歌舞伎)、11月国立大劇場(歌舞伎)、11月国立文楽劇場(文楽)

 

今日のテーマはこちら!

 
●敵討ち番付●  伊賀越レベル★☆☆



江戸時代の娯楽といったら、お芝居お相撲

いよいよ今日から大相撲の秋場所が始まったのに合わせて、今回は”敵討ち番付”のお話です。


・・・

まずは”番付”の説明から。

相撲で、横綱○○、大関○○、などと、ランクと力士名が太い筆字で列挙されているポスターをご覧になった事があると思います。
コレが”番付”です。

”番付”は、17世紀中ごろに、歌舞伎や人形浄瑠璃の出演者を列記した、宣伝用の印刷物として始まりました。

関西では歌舞伎のプログラムを”番付”と呼びますね。
歌舞伎や文楽のプログラムは、表紙をめくると、その”番付”があります。
太い筆字で上演演目と出演俳優などが書いてありますから、プログラムを買ったらぜひ注目してみてください。


江戸時代にはそのような”番付”にならって、ありとあらゆるものがランク付けされて楽しまれました。
山や川、名所名物、名医や遊女など。
そういうものを”見立番付”と呼んでいます。


江戸時代の人々は敵討ちの物語が大好きだったので、有名な敵討ちの見立て番付も作られました。

そこではどんなふうにランキングされているかというと…


例えば「忠孝仇討鏡」というタイトルの番付。
発行は江戸末期とみられています。


○勧進元「太閤山崎主仇討」

勧進元は、番付の制作発行者のことです。
これは豊臣秀吉が主君・織田信長を暗殺した明智光秀を迎えうった合戦です。


○行司「曽我兄弟仇討」「芸州広島仇討」

行司役には、あの曽我兄弟がいますね。
次の「芸州広島仇討」とは、毛利元就が、主君大内義隆を誅殺した陶晴賢を討った合戦をさします。

この「勧進元」と「行司」は、ランク付け対象外の、いわば殿堂入りの敵討ち、という意味合いだそう。


○東の大関「赤穂義士仇討」
 東の関脇「天下茶屋仇討」
 東の小結「彦山毛谷村仇討」
 東の前頭「合邦が辻仇討」など

○西の大関「伊賀上野仇討」
 西の関脇「宮本武蔵仇討」
 西の小結「箱根権現仇討」
 西の前頭「崇禅寺馬場仇討」など


ちなみに、番付に”横綱”がかかれるようになったのは、19世紀末からのようですので、ここに”横綱”はないのです。
なので、東西のトップは大関となります。


これ、敵討ち??というものもなきにしもあらずですが、我らが「伊賀上野の敵討ち」は、赤穂浪士の敵討ちとならぶ”西の大関”にランクインされています。


さすが「三大敵討ち」の一つと言われるだけあって、トップクラスの人気と知名度の敵討ちだったようです!


この”敵討ち番付”は何種類も出版されており、ランク付けもその都度変わっていますが、「伊賀上野の敵討ち」は大概トップクラスに入っているようです。


ということで、西の大関「伊賀上野の敵討ち」、秋場所のゆくえとともにぜひご注目ください!


・・・

次回もお楽しみに!


*参考資料
河竹登志夫「仇討狂言の展望」(『季刊雑誌歌舞伎』9巻3号、1977年1月)

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